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世界遺産紀行の続きです。
(ただいま、興福寺をご紹介しております〜^^;)

摩利支天石を見たぱいん一行、
当然次は、三重の塔を見たわけですが、
こちらの方は構成の都合上、次にご紹介することにいたしまして、
先に、北円堂をご紹介したいと思います〜☆

いかがでしょうか〜?
この北円堂、日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されているんですよ〜♪

興福寺創建者
藤原不比等の1周忌にあたる養老5年(721年)8月に、元明・元正天皇が、長屋王に命じて建てさせたそうです。

興福寺伽藍の中では西隅に位置し、当時は、平城京を一望の下に見渡すことのできる1等地だったそうですよ〜

治承4年(1180年)の被災後、承元4年(1210年)頃に再建されたそうです。
系図をご覧下さい〜!

元正天皇の弟・
文武天皇が、藤原不比等の娘・宮子と結ばれてから、
天皇家は、藤原氏に絡み付かれたような状態で帝位が受け継がれていきます。
これが、藤原摂関政治につながっていくわけですが、
これを、
持統天皇・元明天皇・元正天皇という、3女帝の立場から見たとき、
二通りの見方があります。

1.どうしても持統天皇の直系に皇位を受け継がせるため、積極的に藤原氏の力を利用した
2.皇位に藤原氏の血が色濃く入ることを快しとしなかった
の、全く対照的な二つの説です。

これらの説について、
深く解説できるほどの知識も見識も持っていないぱいんですが、
ほんのちょこっとだけ、
役者が揃ったところで、長屋王の悲劇だけはお伝えしたいと思います。
(すでにご存知の方の方が多いと思いますが・・・^^;)

長 屋 王 の 悲 劇  (ほんのさわりだけです〜〜〜)


系図でもお分かりのように、
長屋王は、
天武天皇の孫にあたり、妻である吉備内親王は持統天皇の孫にあたります。
王は、頭脳明晰で、なによりもスジを重んじる、公明正大な人であったそうです。

悲劇の発端は、聖武天皇と、藤原不比等の娘・光明子との間に、健康な男の子が育たなかったことです。
どうしても藤原氏の血を引く皇位継承者を冊立したかった藤原4兄弟は、女性である
阿倍内親王(後の孝謙天皇)を皇太子位に就けようとゴリ押しをします。

当時、女性の天皇は珍しくもなんでもなかったのですが、それは、次の皇位継承者が幼いとき、又は、しかるべき皇位継承者が決まらないときなどに、前天皇の皇后など、皇族の女性が、中継ぎ的に皇位に就くというもので、阿倍内親王のように、最初から女性が皇太子位に就くことなど前代未聞のことだったのです。

そこで、藤原4兄弟が考え出したのが、光明子の皇后への冊立でした。
皇后の子だから、次の天皇!という図式です。
が、ここでまた問題が・・・
古からこのかた、皇后の位は皇族の女性しか就けないことになっていたのです。
つまり、臣下の出である光明子は、皇后になる資格がないのです。

このゴリ押しに、『否』を唱えたのが、長屋王です!
(もし、不比等が存命であったら、ここまでのごり押しはしなかったかもしれません・・・)

が、結末は悲惨なものでした。
藤原4兄弟の罠に掛けられ、無実の罪に問われた長屋王は、
王自身はもとより、妻の吉備内親王以下、吉備内親王所生の皇子たちすべてが自害に追い込まれ、ここに、長屋王家は滅亡します。

いかがでしょう?
祖母である持統天皇、母である元明天皇、弟である文武天皇は、
すでに、この世になく、
たった一人の妹である吉備内親王を一族もろともに滅ぼされ、
一人ぼっちで残された、元正上皇の気持ちは、
察して余りありますよね〜〜〜(>_<)

それに、この元正上皇こそ、
史上初の独身女帝です。
今また、政略の具にされようとしている、
阿倍内親王を見て、彼女はどう思ったのでしょう?

この北円堂は、不比等の供養のために、
元明・元正両女帝が建立させたそうですが、
(しかも、実際に指揮をとったのは長屋王!)
その頃は、藤原氏との関係は蜜月だったのでしょうか?
それとも、何らかの政治的パフォーマンスだったのでしょうか?

黙して語らぬ北円堂を前に、
様々な思いにとらわれたぱいんでした〜〜〜☆

さて、気を取り直して、次は、東金堂(とうこんどう)です!

神亀3年(726年)、
聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って造立した建物です。

創建当初は床に緑色の(タイル)が敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世にあらわされていたそうですよ〜
以来6度もの被災、再建を繰り返し、
今の建物は室町時代応永22年(1415年)に再建されたものだそうです。

もし、天皇家と藤原氏が対立関係にあったとしたら、
それによって、もっとも傷付いたのは聖武天皇だったでしょうね。
だって、彼の体には、
天皇家、藤原氏の両方の血が流れているのですから。

この東金堂が、政治的パフォーマンスではなく、
本当に、独りぼっちになってしまった叔母への思いやりによって建てられたものならいいな〜
なんて思いました。

が、なんと恐ろしいことに、
この東金堂、拝観するには、別に拝観料300円が要るのです。

さんざん、古代への思いに浸った割には、
この300円をケチって、東金堂は拝観しなかったぱいんなのでした〜(>_<)

さて、今回は、北円堂に端を発して、どんどん妄想モードに入ってしまいました・・・
あんまり進まなくてすみません〜(汗)

次回は、後回しにした三重の塔などをご紹介したいと思います!

[1]南円堂など  [2]北円堂など [3]三重塔など [4]元興寺

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